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息子のために生きる

― 手術を前に感じた恐怖と感謝 ―

目次

目次

  1. 手術を前にして
  2. 息子への想いが私を動かした
  3. 支えてくれた仲間たちへの感謝
  4. “My Dear Letter”誕生のきっかけ
  5. これからの歩み

手術を前にして

2クール目の抗がん剤治療を終え、次に待っていたのは運命の検査。結果は嬉しいことに、腫瘍は少しだけ小さくなったようで、予定通り手術が決まりました。手術日は2023年2月21日。オペ予定時間は10時間。初めて経験する長時間の眠りに、恐怖を感じなかったわけではありません。正直不安でいっぱいでした😢。

息子への想いが私を動かした

「死」を恐れたことのない私が、初めて恐怖を感じたのは“息子”の存在を思ったときでした。
これまで、ご紹介できない事もたくさん経験をしてきました。身内すら知らないような事もたくさん…。後悔をしていないといえば嘘になりますが、これまではどんな結果になっても「自己責任」として受け入れていました。弱い自分を見せられない母として意地と、まだ高校2年生の息子が主治医の説明に耳を傾け、手術の同意書に自分の名前を書くという重圧。
シングルになってから今まで「なにがあっても笑顔」をわが家の家訓としてきました。
小学校で自分を支えてくれている人におくる字として、ひとりだけ「笑」と書いていた息子。堂々と「僕のお母さんは笑顔を忘れない事を教えてくれました。いつも笑顔でいてくれてありがとう」と発表し、泣きそうになったのを今でも鮮明に覚えています。これからまだまだ教えていかなければいけない事がたくさんあるのに、ここで諦めたら親不孝ならぬ子不幸になってしまう…
「息子が成人するまでは絶対に生きる!」――その想いだけが私を支え、手術への覚悟を決めました💪。

支えてくれた仲間たちへの感謝

これまで多くの人たちに支えられてきました。
ご近所さんはもちろん、幼馴染の4人衆。同僚として出会い、退職してからも娘のように私たち親子を心配してくれるKちゃん。抗がん剤で辛い時、星空の話で癒してくれたMさん、長年の友Tさん、弟のようなIくん…。
病気を通して、あらためて人の温かさを感じました🌸。

“My Dear Letter”誕生のきっかけ

死を意識したとき、「何を後悔するだろう」と考えた私の答えは「想いを残したい」でした。 それが “My Dear Letter” の原点です。
息子との思い出を映像に残したい――そう決意したのです。
シャイな息子の写真を隠し撮りしたり、友人に協力してもらったり…そんな日々が今となっては宝物です📸。
しかしながら、シングルにありがちな「一緒の写真が無い」問題(笑)。我が家もそうでした…。一緒に写っている写真が無いのです。古い携帯やスマホを探し古い充電器を探し、やっとの思いでクリスマスなどのイベントのたびに二人で自撮りした画質の悪い写真を探し当てるという悲しい現実にも直面しました(笑)

これからでも遅くはありません!自撮りができる便利な世の中ですが、誰かに撮影をお願いして適正なサイズの写真を残すことをおススメします。

これからの歩み

手術から2年半。5年生存率は30%ほどといわれていますが、私は自分のペースで一歩ずつ進んでいます。
抗がん剤の副作用による白血球減少や出血、そして様々なストレスが重なり自暴自棄になって再喫煙の結果となりましたが、再発しても自分の弱さゆえの自業自得だと思っています。
今回は一つの区切りとして本音を掲載させていただきました。
次回は、手術前日の騒動と手術当日をお話させていただこうと思っています。

これからも体調と相談しながら、月2回を目標にブログを更新していきます。
誰かに想いを伝えたいとき、言葉を形に残したいとき―― My Dear Letter… あなたも大切な誰かに想いを伝えてみませんか?💌

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