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癌告知からの歩み:母として、息子の未来を想いながら

目次

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  1. 病名と原因の推測
  2. 癌告知と息子への想い
  3. 「辛い時も笑顔」を遺したい
  4. 病院食と私のこだわり
  5. 入院生活も楽しみに

1クール目を終えて

1クール目が終わり、2クール目が始まる直前から抗がん剤の副作用は出ていましたが、主治医から聞いていた内容とほぼ同じだったので、気落ちすることは全くありませんでした。(唯一つらかったのは味覚障害でしたが…)
普段からわが家のお味噌汁はうす味だったのですが、副作用のためか塩味が薄く感じるようになったようで、息子からの指摘で気付く感じでした。
また、辛みを強く感じるようになり、辛い物が大好きだったけれどキムチも食べられなくなりました。そして、とうとう本格的な味覚障害(味が感じなくなった)となりました…。皆さんは花粉症や風邪などでニオイを感じられなくなった事はありませんか?(私は花粉症ではないですが)そんな感じだと思います
唯一、甘味は少し感じられていたので大好きなコーヒーもブラックではなく微糖に変わりました。

病名と原因の推測

以前にもお伝えしましたが、正式な診断名は 「食道胃接合部癌・リンパ節転移ステージⅢ」 です。

原因については「ピロリ菌の痕跡と一致しているのでは?」と主治医に言われましたが、自分にはその自覚がまったくありませんでした。確かに仕事上のストレスはかなりありましたが、胃痛や胃酸の不快感があっても、

  • 「タバコやコーヒーが増えたせい?」
  • 「食べすぎた?」
  • 「ただのストレスかも」

と、自分に都合よく解釈していました。自覚があっても「ストレス」で片づけていたのです。

癌告知と息子への想い

そんな呑気な私ですから、癌告知を受けてもあまり深刻に向き合うことはなく、ただ「自己責任」としか思えませんでした。

その時、頭を駆け巡ったのはただひとつ、まだ高校生だった息子のことです。

  • 「最後の時まで息子との時間を大切にしたい」
  • 「これから先、息子が社会人として普通に生きていけるよう、私に何ができるのか」

その想いだけを考えていました。
もちろん、余命宣告を受けたわけではない。自分にはまだ時間がある。自分なりに生存率などを調べながら「余命目標」を立てていました。
今までは、当たり前のように「息子はどんな彼女を選ぶのだろう?」「どんな結婚式を挙げるのだろう?」「孫は可愛いだろうな…」とまだ先の事を想像していたけれど、先の事よりも目の前の心配を優先しなければならなくなりました。
家事も教えていかなければならない、様々な手続きも教えなければならない… 何からどう教えたら良いのか気持ちだけが焦っていました。

「辛い時も笑顔」を遺したい

何かしらの想いを残しながら急逝するのではなく、たとえ癌になっても私には少しでも準備する時間が与えられている――そう感じました。

時間が許す限り「心残り」が無いように過ごしたい。そして、わが家の家訓でもある 「辛い時も笑顔」 を、仕事としてきた映像の形で息子に遺したいと考えたのです。そこで、写真や映像でムービーを作っておきたいと考えました。

しかし、そこには母子家庭ならではの現実がありました。息子の写真はあっても、自分自身や息子と一緒に写った写真はほとんどありません。もともと写真が好きではなく、撮る専門だったためです。

笑顔を残そうにも、まずは撮影から始めなければならず、計画はしばらくお休みとなりました。

2クール目の入院準備

2クール目の入院準備では、1回目に加えて脱毛にも備えました。急に髪が抜けることを想定して、以前から用意していた帽子をスーツケースに詰め込み、シャンプーも肌に優しいものへと変えました。

こうして2023年1月10日、10階西病棟1002号室での2クール目が始まったのです。
今回も窓際だったので、ベッドに横になりながら外を眺めたりスマホでゲームしたり…。 とにかくムカムカに対抗するには気分転換しかない!と必死でした笑。

病院食と私のこだわり

抗がん剤は前回同様、24時間点滴に繋がれる生活。案の定、ムカムカが始まりましたが前回ほどではなかったのですが、やはり配膳前のニオイは強敵でした。

正直、病院食に期待はしていませんでしたが、前回同様「刻み食」になるので、今回も少しだけ“わがまま”を発動させていただきました。

入院経験のある方ならご存じかと思いますが、入院すると毎日の体温・食事量・排泄回数などが記録されます。私は「食事量」に“0”と書くのが嫌だったので(何のこだわり?)、毎朝スタバに行って大好きなコーヒーや抹茶ラテを購入。売店で食べられそうなパンやお菓子を買うのが、2回目入院の定番となりました。

入院生活も楽しみに

2回目ともなると、入院生活の中でも自分なりの工夫や楽しみを見つけられるようになりました。不安な日々の中にも、有意義に過ごせる時間があることが、少し心を軽くしてくれたのです。

大学病院なので、偉そうな医師ばかりだと思っていたし某ドラマの「●い●塔」のようないろいろありそうなイメージでしたが、私が出会った医師はみんな気さくで偉ぶることが無く、何でも話せる存在だったので、私のわがままもどんどんエスカレートしていきました笑。
もちろん、わがままといっても困らせる事ではなく、自分なりに頑張るための工夫と相談ですよ。
こうして2クール目の入院となりましたが、まだまだこれからなのです。

次回予告

次回は…憂鬱な入院生活の中で見つけた、私のちょっと楽しいエピソードをお話しします。

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